YELL~あなたへの応援歌~2024Track♪5 『見えないところにこそ気を配るべし~底至りは旅行会社で培った我が流儀~』
今日は4月29日(祝)のGW2日目、9時30分の便で沖縄に向かいます。
毎年土日もほぼ休まず仕事をしている私にとって、GWとクリスマス休暇は癒しの時です。
あえて谷間を狙って移動するので、羽田もさほど混んでいません。
沖縄に行ってまでゴルフ、どれだけ下手の横好きなのと思いますが、嫁さんとやるゴルフは数えない、数えないゴルフは調子がいい、ので楽しんで来ます。
そう言えば何年か前もこのコラムを機内で書いた記憶が、その時も忘れていて慌てて書き出した覚えがあります。今年もすっかり忘れていて朝思い出して今書き出しました。
旅行に出かけるということで、今回は旅行の話でも書きましょう。
実は私、大学卒業後の3年は旅行代理店に勤めていました。
新人類のバブル世代、平成2年3月卒、就職活動って何?と言わんばかり、真面目に将来を考えて活動した記憶は全くなく、とにかく楽しい仕事、華やかな仕事を選んで就職活動。
本命は広告代理店、次は旅行代理店、先に旅行で内定もらって、本命の広告に集中しようと決めて臨んだ活動。早々に1社旅行で内定が出たので、広告を上から順に受ける。
結局、広告は全く歯が立たずに最初に内定頂いた会社に就職しました。
そりゃなんも準備してないもんなkw、なめてる。
でもたった3年の旅行会社勤務だったけど、なんか学んだことたくさんあったなぁ、と今でも思います。その3年で得た財産が今の自分の礎になっていると言っても過言ではありません。
『段取り8割』、これが最初に一番身に染みて学んだことかなぁ。
とにかく確認、確認、また確認、いつもひとつ先の行程を確認しながら旅行が進んでいく。
でもこの段取り仕事が、次の生命保険会社での仕事にも、そして起業した今でも大きく役に立ったと思います。段取りに大事なこと、ズバリやっつけ仕事はしないこと、妥協が事故のもと、『段取り8割実行2割』は当時に学んだ大切な我が財産です。
あ、そう言えば生命保険会社の優績代理店さんのキャンペーン旅行に随行社員で出かけた時に、日本旅行の添乗員さんにこう言われました「杉山さん、さすが立ち位置が違う」と。
先が見えない角に先回りして待機して、「この先、気を付けて進んでください」って。
危機察知能力なのか、やっぱり段取りなのか、経験と勘とコツと言わんばかりに名添乗員を務めました(笑)
次に学んだこと、『些細なことを大袈裟に伝える』でしょうかね。
旅行の仕事は旅館や観光地や食事処などのインフラをどうやって魅力的に伝えるかが勝負だとわずか3年ですが感じました。
営業マンの伝え方次第で並な旅館も名旅館になり、普通の食堂も高級料亭に変わりますってのは大袈裟かもですが、数あるインフラの演出家が旅行会社の営業マン、添乗員の仕事。
実際、旅行に行って印象を大きく変えるのは添乗員の働きぶりもありましたね。
大概、食事がまずいとか、旅館が汚いとか、文句の矛先は添乗員ですが、終わってみたら楽しかったって言わせるのも添乗員の腕にかかってるかなぁ。
ちなみに生命保険会社での仕事にも大きく役立ったのは言うまでもありません。
プレゼン力は間違いなく旅行会社で培ったもの、生命保険も無形なので数字でなくイメージで伝えること、これはまさに当時培った財産に違いありません。
いくらでも書けるな、この話。
キリが良いので3段落ちで今回は幕引きさせていただきますが、この旅行話は次回も書こうって決めました。
さて三段落ち、旅行会社での学び3つ目は『あなたの幸せが私の喜び』、わが社のパーパスでありCIでもあります。
どれだけ旅行中にお客様に文句を言われようが、どんなに罵倒され嫌な思いをしようが、お別れの時間になると、参加したお客様は必ずこう言ってくれます「添乗員さん、ありがとう。楽しかった。また一緒に行こうね」この言葉でどれほど気持ちが救われたか。
旅行ってそもそも楽しいこと、うまくいって当たり前のもの、でもなんで添乗員がいるの?って必ず何かハプニングが起こるからです。
そのハプニングも含めて旅行、帰りにちゃんと家路につければそれも笑い話で済む話。
だからこそ、最後の笑顔に添乗員としての勤め上げた安堵と達成感とそして喜びと。
お客様の笑顔があったからこそまた頑張れる、そんな3年間でした。
その学びは私の生き方にも影響を与えてくれました。生命保険会社での25年、そして起業してからの約7年、私の生き方そのものになりました。
仕事をする意味、それこそが『あなたの幸せ』に他なりません。
とにかく人に喜んでもらうために頑張れるんだよな、ありがとうって言ってもらえると馬力が出るんだよな、それがあるから必死で考えてまた喜んでもらおうと思うんだよな。
報酬と肩書を得た人が次に望むもの、これが社会的承認ってよく言われるけど、人のために頑張れるから報酬も得て肩書も得れるってそう思う。
たった3年だったけど本当に良い仕事で社会人のスタート切れたなって、当時お世話になった多くの方々に感謝の気持ちを綴って終わります~ありがとうございました~
~つづく~